■ 紀元前240年~20年頃: 慈石と司南および羅盤
中国の古文書「呂氏春秋」によると、西欧のマグネットと同じ頃、すでに中国でもこのような鉱石が当時の慈州にあり、且つ母親の二つの乳房のように慈愛深く乳児をひきつけることから“慈石”と書かれていました。二つの乳房はもちろんN極、S極のことです。
また、この慈石が南北を示す方位計(羅針盤の原型)になることは、すでにこの頃わかっていて、スプーン(蓮華)形の方位磁石“司南(指南器)”が造られていました。
このスプーンに似た形は、磁石が良く回ることと、当時の方位の目印であった北斗七星を形どったのが理由だったと言われています。
その後、中国後漢の時代、方位に関する知識が完成され、それを基礎に司南が改良されて、東西南北、十二支等を示す盤がつくられ、方位を示すと同時に占い道具としての“羅盤”へと発展してゆきました。
中国におけるこの羅盤の発明は、すぐには航海に利用する羅針盤とはならず、主な用途は地相占いにあったようです。中国では古くから風水占術が発達していて、風水師が家や建物を建てるとき、地相を占っていました。もちろん、これが後の羅針盤の元になったことはいうまでもありません。