■ 西暦1660年~1775年:ゲーリックによる摩擦起電機の発明(ドイツ)
フランクリンの電気のプラス、マイナスの発見(米国)
平賀源内の磁針器とエレキテル(日本)
ギルバート没後1660年頃、ドイツの物理学者ゲーリックは、イオウのボールの回転による摩擦で静電気を発生させる“摩擦起電機”を発明しました。その後1700年代に入り、米国の独立宣言起草者の一人でもあるベンジャミン・フランクリンが電気には“プラスとマイナス”があることを提唱し、1752年の有名な凧揚げ実験で、電荷がライデン瓶と呼ばれた蓄電器に集められて、雷が摩擦電気の放電現象と同じ現象であることを証明しました。この後、イタリアのボルタが1775年に電気盆(コンデンサの原型・コンデンサトーレと命名)を考案し、充電と放電の繰り返し実験が盛んに行われました。
一方1760年頃、日本では高松藩の下級武士であった平賀源内が、当時の江戸で本草学者(薬草を基本とした自然科学)の田村藍水の弟子となりながら、国内、国外の珍しい物品の収集や欧米の科学技術に興味を持ち、さまざまな実験を行なっています。“磁針器”(方位磁石)を自作したり、“エレキテル”(摩擦起電機)を製作し世間を驚かせるとともに、日本の最初の電気学者として名を残すことになりました。
フランクリンのライデン瓶
瓶の内側と外側に金属箔を貼り、内側の金属に外の金属球から鎖を垂らして接続させている。この金属球を通して内外の金属箔の間に静電気による電荷がたまる。放電棒を近づけると、火花放電が起こる。
平賀源内のエレキテル
1776年、欧州の摩擦起電機の文献を参考に、試行錯誤しながら作り上げたもので、蓄電器も組み込まれています。医療や見世物として使用され、当時の人々を驚かせていました。