■ 西暦1832年~1873年: 発電機とモータの進化
1832年、フランスのピクシーが手まわし発電機を発明しました。同年ファラデーも1824年アラゴによって発見されたアラゴの円板を改良して発電機を作りましたが、コイルが回転するもので、実験的な装置でした。ピクシーの手まわし発電機はU字形の磁石を回転させ、コイルを固定としたもので、実用が目的でした。いずれも機械エネルギーを電気エネルギーに変換していますが、当時は蓄電池の直流が主体であったため交流の利用は考えられませんでした。アンペールが発明した整流子を用い、直流に変換して使用されたものです。但し、整流しただけの直流であり、電池とは異なります。ファラデーの発電機は実験装置という域を出るに至らず、また、無欲なファラデーは発電機の開発には興味がなかったようで、一般にはピクシーの手回し発電機が世界初の実用的な発電機として認められています。
一方、モータ(電動機)は1830年代にロシアのヤコビ等によってさまざまな設計のモータが発明されましたが、いずれも電磁石によるもので、当時は電池を使うしかなかったため実用化まで到りませんでした。したがって、モータより発電機の方が先に発達し、ピクシーの後、1866年にはドイツのエルンスト・ヴェルナー・フォン・ジーメンスの自励式自動直流発電機、1870年のベルギーのZ.T.グラムによる環状電機子を備えた発電機により、実用化が加速されてゆきました。
モータの実用化は、1882年イギリスのJ.E.H.ゴードンの2相交流発電機により、交流の送電が計画され、1888年アメリカのニコラ・テスラの2相交流電動機の発明によって始まり、ウェスチングハウス社の本格的な交流送電とテスラの交流モータによって大規模な産業への利用が始まったのです。この経緯の中で、かの有名なエジソンはエジソン電灯会社が供給する直流送電にこだわるあまり、時代に乗り遅れたと言われています。
1885年頃イギリスのジョン・フレミングが発表した“フレミングの法則”は発電機とモータの電磁誘導の原理をわかりやすく説明したものとして、今でも理科・科学教育の場面で盛んに利用されています。