(4)原子物理学の誕生と磁性の探求
■ 西暦1808年~1913年:アーク灯から白熱電灯へ・真空技術の進歩
時代を少し戻すと、1808年イギリス王立研究所のハンフリー・デービーは、ボルタ電池を使い、二本の炭素棒の先端でアーク放電が起こり発光することを発見しました。その後1815年に大規模な“アーク灯”の実験を行って人々を驚嘆させ、以降数十年間アーク灯の実用化に貢献したのです。しかしながら、アーク灯の欠点は炭素棒の寿命が短いことと、明る過ぎることで家庭用としては不向きでした。
ドイツの機械技士ハインリッヒ・ガイスラーと物理学者ジュリアス・プリュッカーが1857年水銀空気真空ポンプを発明した後、ガラス管の中を真空状態にすると電流を流した炭素のフィラメントは簡単に燃え尽きずにある程度の時間発光し続けることがわかりました。
その後真空ポンプの技術が向上し、1878年のイギリスのジョセフ・ウィルソン・スワンおよび1879年アメリカのトーマス・アルバ・エジソンが製造方法の改良や有望なフィラメントの材質の発見などにより実用的な“白熱電球”を発明しました。特に、エジソンは机の上に置いてあった日本の扇子からヒントを得て、京都八幡の竹を探し当て、これを炭化させたフィラメントを使って200時間という当時の長時間発光の記録を打ちたてたのです。
日本で白熱電球が生産開始されたのは1890年で、その後フィラメントにタングステンを使った電球が発明され、まもなく炭素(カーボン)フィラメントの電球は姿を消しました。エジソン電灯会社はその後ゼネラル・エレクトリック(GE)社となり、1913年タングステン電球の量産を始めました。
デービーのアーク放電の実験
エジソンのカーボン電球
水銀空気真空ポンプ